ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

追悼 高橋幸宏

突然届いた高橋幸宏の訃報

享年70、1月11日に、との事

思うところあって、有名人の訃報には触れないでいたが、この人に関しては例外だ

 

突然とはいえ、もちろん一昨年の脳腫瘍の手術の事や、昨年SNSにアップされた近況なども知っていた

そしてその近影から、復帰は難しいのでは、とも感じていた

でもまさか、こんなにも早いお別れになるとは…

 

 

YMO細野晴臣のコンセプトによって結成されたプロジェクトバンドであり、メンバーの目玉的存在は坂本龍一であったが、あれほどのカルトな人気となった要因は高橋幸宏がいたからだと思っている

彼がいなければ、単発のマニアックなバンドで終わったような気がする*1

少なくとも、片田舎の小中学生にまで浸透するバンドになどなれなかっただろう

 

それは彼がとびきりオシャレで、しかも「人民服」をデザインしたからばかりではない

ユキヒロの作る曲もドラムもボーカルも、すべてがエキセントリックながらキャッチーだったからだ

そして、テクノでポップというものを最も具現していた存在だったと思う

 

 

 

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ニウロマンティック~ロマン神経症~ (CD)

 

とは言いながら、彼はまずドラマーだ

スネアの天才にしてハイハットの魔術師である彼は、俺の中では世界一のドラマーであった

これは「刷り込み」のようなもので、誰が何と言おうとも揺るがない感覚なのだ

 

その世界一のドラムが聴ける曲として、坂本龍一の「チベタン・ダンス」を選んだ

シンプルでタイト、これに尽きる

気持ちいいのは、フェイドアウト開始直後(4:47)の一拍多い「オカズ」

 

 

 

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その昔、東京に住んでいた頃は毎年ライヴに行っていた

今回のギタリストは、バックメンバーは、なんて考えるのも楽しかった

土屋昌巳の時も驚いたけど、ボウイのほぼ専属バックギタリスト、カルロス・アロマーが来た時はもっと驚いた

 

YMOの中では唯一、毎年アルバムを出して毎年ライヴをしていたから旧友たちとの共通の話題や思い出が多い

渋谷パルコにあった「ブリックス・モノ」で服買ったりして

ユキヒロライヴが縁で現在の奥さんと出会ったヤツもいる

 

最近の坂本龍一の病状の報道で、ただでさえ何かが崩れそうな気持ちがしていたところに…

YMOの活動期間は1978年から83年までだが、それはちょうど俺の中学1年から高3の期間に当たっている

それは単なる偶然ではあるんだけど、個人としては何か特別な事のような気もして

 

 

 

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中学生の頃から現在までの40年以上ユキヒロ曲は折に触れ、なんてもんじゃないくらい頻繁に聴き続けてきた

それは今後も変わらないだろう

冥福を祈るとともに、感謝の想いを捧げたい

 

(敬称略)

 

 

*1:細野は最初、キーボードに佐藤博、ドラムは林立夫を誘ったらしい