坂本龍一が亡くなってしまった
遂にこの時が来てしまった
分かっていた事だとはいえ、まだ受け入れられずにいる
訃報から2週間も過ぎたというのに、ショックを受けたままでいる
まだ何年かは生きているだろう、と何となく思っていたし
でも昨年辺りからは、何だかイヤなカウントダウンが始まってるみたいでモヤモヤしていた
その事と関係があるのか、俺は友人と坂本を話題にする時は「坂本龍一」とフルネームで言っていたが、何となく「教授」と呼びたい気持ちになっていた
何故なのかはよく分からないし、口にもしてないけど
繰り返しここで書いている事だが、俺は中学生の時からずっと熱心なYMOファンだ
特に様々な部分で影響を受けたのは坂本龍一であった
1981年、俺が高校1年生の時に始まった、坂本がパーソナリティを勤めるNHK−FMの『サウンドストリート』という番組があって、ほぼ毎週欠かさず聴いていたから、という事もある
その頃はロックを聴き始めたばかりで、XTCだのマガジンだのウルトラヴォックスだのスロビング・グリッスルだのフライング・リザーズだの、その番組で知って聴いたバンド、音楽は数知れない
坂本がかつて読んだという本、聴いた音楽などは、消化不良も気にせず可能な限りチェックした
デカルトを読んで、バタイユを読んで、ジュネを読んで、ボードレールを読んで、ランボーを読んで、ドビュッシーを聴いて、サティを聴いて、ラヴェルを聴いて、ストラヴィンスキーを聴いて、あとはコクトー、マン・レイ、ピカビア、デュシャン…
影響を受けたというより、ミーハー的にかぶれてたんだね
中学・高校の頃の俺はそんな調子で、今でもその残り滓はある
昨年末に撮影されたという、映像による「ラストコンサート」
YMO時代の曲「東風」演奏中に、口角が少し上がって微笑んだように見える一瞬がある
このライヴの中の、ささやかなハイライトシーンだ
友人は、作曲した頃の楽しい思い出が蘇ったのかな、なんて言っていたが
むしろ俺たちの方が、病魔に侵される前の頃の懐かしい思い出を、そこに投影したんじゃなかろうか
Dearest Ryuichi,
Would you like to play piano four hands together again?
I miss you very much.
これを読んだ瞬間、泣きそうになった
もちろん彼女の気持ちを想像しての事もあるが、そればかりではない
俺の「青春」の幻が、一瞬生々しく立ち昇ったかと思うとスッと消えて、俺の心の中の何かが失われたんだ、と改めて感じたから
旧作から新作まで、半世紀近くも聴き続けてきた
昨年暮れ辺りからは、ここ最近のアルバムを重点的に聴いてきて、そして今年に入って「ラスト・コンサート」と新譜
でも、根っこにずっとあるのはYMOであり、そういう意味では有難迷惑なファンなのかもしれない
まあいい、彼は今後も俺のアイドルであり続けるだろう
冥福を祈ると共に、感謝の想いを捧げたい
さようなら、教授
(敬称略)