ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

ただいまリハビリ中

そろそろブログを更新したいな、と思っているのになかなかできないでいる

ネタが無いというのでもない

ネタなんか無くたっていくらでも書けるワケだし

 

結局そこはモチベーションと誠意の問題なのかとは思う

いや「誠意」なんて言うと大袈裟だが、自意識との戯れをダラダラ書いちゃっていいのか、という問題

でも、まあ、今までだって自意識と戯れてただけっちゃだけなワケなんでね、だから、その、書いちゃうよ

 

最近はというと仕事のストレスですっかり衰弱しちゃって、ブログ更新どころか読書も全然できなくなって、挙げ句の果ては音楽もあんまり聴かなくなっちゃった

ほぼ毎日続けているウォーキング中も、以前はあれこれ聴きながら歩いていたものだが、今は何も聴かずにやっている

聴くのは出勤帰宅の往復と休憩中に車で約1時間聴く程度だったのが、それすらもラジオにしたりなど、能動的に聴くって事をしない日も増えてきた

 

ラジオってなんか受動的な感じで心地いい

誰なのかさっぱり分からない人のどうでもいい話を聞くのって、何だか心が和む

でも今の日本のヒット曲やビルボードチャートなんかの曲が流れると途端に重く感じてしまって、NHK-FMのクラシックに切替えたり、あるいはラジオそのものを切ったりする

 

そんな状態の今の俺にとって心地いい音楽は昔から馴染みの音楽になってしまう

最近よく聞いているのははっぴいえんど大貫妙子

特に今ははっぴいえんど大瀧詠一作品が気に入っている(ハマっている)

 

とりわけ「はいからはくち」と「颱風」が好き

これ特に癒されるような内容の歌じゃないんだけど、何というか大瀧詠一が真顔でフザケてて、不意にニヤって笑う感じ

もちろん細野晴臣作品の「風をあつめて」「夏なんです」「風来坊」も相変わらず好きではあるんだけど

 

この当時の大瀧作品ってなんかエキセントリックで後年の作品とは大違いなんだけど、俺はここ数年でその面白さに気付かされたワケなんで

だから昔から知ってるにも関わらず、新鮮さも感じるという奇跡にも似た体験をしてるんですな

遅れてきた大瀧ファン(ナイアガラー)としては今後もまだまだネタに困ることはないんだね

 


Happy End - 颱風(1971)


Happy End - 風来坊 (1973)

 

9月下旬あたりから本はほとんど読めない状態になってしまっていたが、それは最近ようやく回復しつつある

先週あたりから少しずつ読み始めているのだ

とりあえず読みかけのまま止まっていた呉智英(くれともふさ)のエッセイ集『賢者の誘惑』を片付けた

 

あと仕事帰りにふと思い立って、晩飯食った後に坂本龍一の『音楽は自由にする』を再読

この手の、作者について知識がありインタビューの文字起こしみたいな本は一字一句追って読んでもその日のうちに読み終わっちゃうからとても良い

読み終えると、なんだか一仕事終えたような、とてもいい気持ちになった

 

音楽は自由にする

 

阿刀田高の『獅子王アレクサンドロス』は中程でやめちゃってて、それもと思ったけどすんなり入ってこないのでやめた

いずれ再開するつもりではあるけれども、とりあえず後回しにした

小説だというのが原因なんだろうか、いつもの阿刀田作品らしいエンターテイメント性たっぷりなのに

 

まあいずれ読書っていうのは面倒っちゃ面倒だけど、読み終えた時の達成感というのは得難い感覚である

知識を得るための参考書的な読み方というのが「賢い」読み方ではあろうが、そんな「お勉強」読書ばかりが全てではあるまい

心が衰弱した時は語学が良いらしく、それは進歩上達が明瞭だからということだが、単なる「読了」というのもお手軽な薬というワケだ

 

 

とまあそんな昨今だが、少しづつ明かりが見えてきた感じはする

とはいえ、まだ朝目が覚めると動悸と息切れと、まるで希望を見失ったかのような倦怠感に襲われる

そして中途半端な戦闘態勢のまま仕事に行く事になり、これまた疲れるワケだ

 

どれだけ弱っているものやら、些細な事で涙がこみ上げてくる

もちろん泣く理由が希薄なのが分かっているから、実際に泣きはしない

でも自分に嘘をついて少しでも泣く事ができたら、滑稽ながらも救われるのにと思う

 

そんな俳優のような涙でもいいから、何かカタルシスが欲しい

ウォーキング以外にといったら、号泣くらいしか思い浮かばない

なんて、さすがにこんなオゾマシイ事は誰にも言えやしませんな