俺はあまり良くない意味で子煩悩だ
厳しいことを言ったりもするが、要するに溺愛するが故の過保護な老婆心である
現在、子どもは中学生の息子と小学生の娘
娘は俺に似て、口が達者で、どことなく世の中を簡単に考えているフシがあるが、いずれにせよ元気で明るいので、現在のところはそれほど心配していない
父親と娘が似るというのはよく聞く話だが、いやホントに食べ物の好みだとか、趣味に対する入れ込み方だとか、ふざけたがりで、毒を吐きたがるとか、果ては少しお下劣なジョークに過剰反応するところまでも似ている
最後のは、女の子だけに今後やや心配な事ではあるが…
心配なのは兄の方だ
喋るのが遅かった事と関係するのかは不明だが、自分を表現したり、意見を述べたりすることが苦手なようで、基本的に覇気が無い
意外にも部活(運動部)は親の想像以上に頑張ってくれたが、ファイト漲るタイプではない
勉強も苦手で、先日は受験を控えての三者面談があったが、だいぶ厳しいことを告げられた
ところが当人は、どこ吹く風って訳でもないだろうが、いつもと変わらぬ感じ
こいつは状況を分かっていないのだろうか、などと思ったりしたが、話してみると本人なりに思うところもあるのか、何かを決意したような健気さだった
親からすれば、そんな息子が何だか可哀想で、また哀れで、俺の方が泣きたくなったくらいだった
ゴータマ・シッダールタは悟りを開くために妻子を捨てて出家したというのは、割と良く知られた話であるが、なるほど、我が子ですらも煩悩のひとつなのか、と考えさせられはする
いや、俺はそんな思いをしてまで得たいものなどありはしないが
ただし余計な心配ばかりしてもしょうがないということはあるだろう
考えてみれば俺自身、現在と比べれば随分と無神経な世界の住人だったと思う
小学校の時から、学校から帰ると自転車で5キロ以上離れた友達のところまで行って野球をしていたが、その自転車の運転は荒くて何度か車にぶつかりそうになったし、寒くなるとずっとポケットに両手を突っ込んだまま運転していたものだ
また家から50キロ以上離れたところへ、一人自転車で映画を観に行こうとしたが、決行を予定していた当日、幸か不幸か土砂降りの雨だったので中止
もし晴れていたらどうなっていただろうか
(自転車ネタしか思い浮かばなかったよ…)
今、自分の子どもがそんなことをしていようものなら、自転車禁止にしてやるところだ
まして50キロも離れたところまでひとり自転車で行く、などと知ったら卒倒してしまうだろう
かつての俺と同じ事をしようとしているだけなのに
俺の親も、そんな俺をよく放置して遊ばせておいたものだと思う
でも昔はどこもそんなものだったのだろう
そもそも俺の親は、川で泳ぎを覚えた世代だしね、俺たちより遥かに上手(うわて)だよ
お祭りなんか、昔は単なる暴力解禁日だったんじゃないか、なんて思わせるものがあったようだし、いわゆるヤクザ者が当たり前にいたし、ガキ大将みたいなのもいたし、教師の体罰は当たり前だったし
いずれ何かと暴力がものを言った時代が長らくあった訳だ
今の世の中は、そうした暴力がほとんど無くなり、誰もが住みよい社会に進化しているとは思う
ただ、最近のそんな「優しい」世の中の風潮は、俺のようなヤワな人間にとって大変ありがたい反面、人間の中の動物的能力(?)が低下してしまう側面がありはしないか、と心配にもなってくる
ま、あまり共感は得られそうにない考えかもしれないが…
子どもたちには、逞しく世の中を渡って行ってほしい