ふと気付いたら5月21日が過ぎていた、なんて事だ
漫然と日々を過ごしてると、とんだ失策を犯してしまう
というのは、5月21日のブログにはEP-4の事を書こうと思っていたからだ
ああ、悔やんでも悔やみきれない
さて、そもそもEP-4ってナニ?って話だが
EP-4とは佐藤薫を中心に、1980年に京都で結成されたニューウェーブ・ファンクバンドの事で、1985年辺り*1まで活動していた模様
俺が知ったのは確か82年の事で、坂本龍一が京都のイヴェントで共演したとの情報からだったが、その時は音を聞いたわけではなく、バンド名がカッコいいなと思った程度だった
そのうち各ロック誌で少しずつ取り上げられて来て、83年の「フールズ・メイト」にはソノシートが付録になったし、「ロッキンf」でも結構大きな扱いがあって、その中ではギターの好機タツオの機材がクローズアップされたりしたものだ
そんな1983年に起こったのがEP-4の「5.21騒動」だ
春先から、5月21日に何かを企んでるぞとばかりに「EP-4 5.21」というステッカーが都内各地にペタペタ貼られるゲリラ活動がちょっとした話題だったようだ
地方在住の俺には何のことやらサッパリだったが
その当時ニューウェーブやインディー・ロックに関心があった方ならご存知だと思う
予定では、5月21日にレコードをメジャーとインディーズからそれぞれリリース、そしてライブを3ヶ所で行うという計画だったらしい
ライブは京都、名古屋、東京で行われたが、メジャーからのものは発売延期となり、インディーズからのライブ盤『Multilevel Holarchy』のみの発売となってしまった
まあ騒動って言ってもこれだけだが
でもファン以外には謎のステッカーとしか思えなかっただろうし、十分人騒がせな事だったのには違いない
ところでステッカー貼るのにはバイトでも雇ったのかな
それ以前には『制服・肉体・複製』というタイトルのカセット・ブック*2でライブ盤を出していて、個人的にはそれが最高作と思っている
なお、その「ブック」の部分は、佐藤薫のネオ・ナチ党員インタビューや、どこかの本からの引用などだったが、ほとんど読んでいない
親にはなんだか見せられないようなイカガワシサがありましたよ
発売延期となっていたレコードは、タイトル『Lingua Franca-X 昭和崩御』
理由はレコ倫に引っ掛ったからなのだが、その年の秋にペヨトル工房という出版社から、12インチ・シングルのレコード付き書籍として発売になった
レコ倫としては「崩御」の文言が認められず、でも書籍ならOKになるという、とても勉強になる解決策だった
続いて初のスタジオ版フル・アルバムが『Lingua Franca-1 昭和大赦』のタイトルで発売された*3
「崩御」はダメだが「大赦」はOKという、これも勉強になるものだった
1985年にも12インチシングルがリリースされたりしているが、ライブなんかも行われていたのだろうか
この頃、何故かロックへの関心が薄れてしまった俺は音楽雑誌も読まなくなってしまい、ほとんどリアルタイムでの情報は得ていない
中心人物の佐藤薫、一応ヴォーカルという事になっているが、何を歌っているのか、そもそも歌なのか、しかも声には強いエフェクトが掛けられていて何が何だかって感じ
『地球に落ちてきた男』の頃のデヴィッド・ボウイみたいな風貌で、白いシャツと麻のパンツが最高にカッコ良かった
キーボードの川島バナナはEP-4の活動休止中(?)に安全地帯と玉置浩二のソロのサポートをしていた
1989年、玉置浩二のソロ・シングルで隠れた名曲「キ・ツ・イ」*4でテレビ出演の際は玉置の隣で飛び跳ねながらパーカッションを叩く姿が中国の妖怪みたいでとても良かった
2012年、30年ぶりに再結成ライブを行っており、その日も5月21日だった模様
それまで佐藤薫は何をしていたのだろうと思ったが、調べても分からなかった
2013年、河出書房新社より出た『デヴィッド・ボウイ総特集』に佐藤薫が寄稿*5
タイトルは「名声と殿堂の熱きゴシップ David Bowie and Black Music」
ボウイの74年「Fame」とジェイムス・ブラウンの「Hot」の関係を軸に当時のブラック・ミュージック・シーンに触れ、ついでにボウイ来日時のエピソードへ
なかなかに読み応えがあり、文才もあるんだなと思った次第
(敬称略)