背表紙を見てちょっと面白そうだと思って、前田亮一著『今を生き抜くための70年代オカルト』を買ってざっと読んだところだ
著者同様、俺も小学生の頃は、UFO、雪男、ユリ・ゲラー、ツチノコ、ネッシー、ノストラダムスなどに関心を持ち、日テレの『木曜スペシャル』は必ずと言っていいほど観ていたし、以前にここでも書いたように映画『ノストラダムスの大予言』も観に行った
また、文中で触れられている訳では無いが、学研から出ていた『七つの世界の七不思議』などの超科学本(?)シリーズに熱中していたことを、読みながら思い出した(あれらの本は今も実家の物置にあるんじゃないかな)
しかし現在、オカルトに関心の無い俺には初耳の話題が多く、そこが面白くもあり、またキツいところでもあった
前田のように千葉大出身の知的なオタクと違い、俺は知的どころかオタクですらないので、その方面の知識は小学生時代の断片的な状態のままで止まっている
実を言うと俺にとっての70年代のオカルトは、最早ノスタルジア以外の何物でもないのだ
ほぼ完全にノスタルジア化しているものは、70年代のオカルトに限った話ではない
ウルトラマンもウルトラセブンも仮面ライダーも歌謡曲も、客観的評価以前にノスタルジア化してしまい、ほとんど無批判のまま「好き」だという事になっている
それら個人的ノスタルジアは、よく言われるように味や匂いや音によって喚起されることが多い
だから小中学生の頃に流行っていた歌を不意に耳にした折など、突然に当時をリアルに思い起こす事はあっても、例えば仮面ライダーなどの映像を観ただけでは、多少の懐かしさは感じはするものの、それ以上の感慨は無かったりする
ついでに言うと、それが過去の終わってしまった恋愛に関する事だったりした場合は、ほとんどトラウマ的フラッシュバックが起きたりするわけで、それはまさしくプルースト的主題なのであるが、たぶん口にはしなくとも誰もが経験する事なのではなかろうか
しかし、俺はそんな感情を特別なものと思いはしても、それ以上調べたり集めたりなどはする事があまりない
いや、多少調べたりすることはあったとしても、物を集めたりなどはしないように努めてすらいる
大した物ではないはずなのに、ずっと手元にある事で、魂が宿ってしまうようになると困ってしまうからだ
付喪神(つくもがみ)とはよく言ったもので、よくよく気をつけていないとツラい思いするのは明らかだ
とまあ、そんな人間である俺が先日、子供たちが幼い頃に使っていた布団やシーツ、おもちゃ、ぬいぐるみ、肌着などを処分させられた
妻が選別して纏めた物を俺に捨ててこいというのだ
さすが女という連中は、「モノ」に執着などしない現実主義者だ、と思う
そんな訳で雨の中、市のごみ処理センターへ行き、結構な量のガラクタ類を処分してきたのだが、とても暗い気持ちになってしまった
処分した物すべてに記憶や思い出がある訳ではなく、それどころか捨てるとなった時まで目にする事すらなかったのに
しかし今では別人となった、あの天使のような奴らが確かに使っていた、遊んでいた品々との別れ、喪失感、寂寥感
ああ、供養してから処分すべきだったろうか
物は魂が宿る前に早めに捨てる事
(敬称略)