息子の高校受験の勉強にしばらく付き合ったせいだろうか、何となく自分の半生を思い返し、ある種の感慨を覚えている
それは正に、青春真っただ中にある若者を目の当たりにしての眩しさや羨望の想いだ
そして俺自身にもあった筈のそんな輝かしい時間を、無自覚なまま無残にも台無しにしてしまった事への後悔である
一応、俺の冴えない経歴を記しておこう
高校は進学校に進みはしたけれど、勉強にはほとんど身が入らず、大学進学を志望はしていたものの失敗
要するに、さほど賢い訳ではないが、かといって自分をバカだとも思っていない(思うことができない)人間という事だ
な~んていう自己分析は簡単だが、親には申し訳ないやら自分の肥大した自尊心は扱い切れないやらで、一時行方不明みたいな状態で、フリーターとして数年食いつないでいた
つまり俺は子どもに、勉強しろだのと説教する資格が無いばかりか、就職活動すらしたこともないから(もっぱらハローワーク)、アドバイスのしようもないのだ
俺の世間知らずというのは、そんなところにも原因があるんだな
でも、その間はずっと塞ぎ込んでいた訳ではなく、むしろ足枷が無くなったような気持ちになって、それなりに楽しんではいた
自由になるお金は少なかったが、その事で自分自身を卑下したことはない
繰り返すが、だって毎日がそれなりに楽しかったから
だから現在のように、自分自身の半生を苦々しく感じるようになったのは、今勤めている会社が急激に傾いた10年ほど前からの事である
それまでは自分の社会的地位とか収入とか、気にしたことがなかった
だって特に不自由なく暮らしていたから
今も不自由は特に無いが、崖っぷちを意識せざるを得ないようになってしまったという事
さて、俺が当時の新語であった「フリーター」なんぞという身分の頃、日本の世はバブル時代であった
これと言って恩恵を受けた訳でもなく、それどころか今後どうやって生きていこうか、なんて考えていた頃なので、当時流行していたあれやこれやに対しては率直なところ嫌悪感しかなかったりする
しかしそんな当時の例外的に好きだったものに触れると、ノスタルジアじゃ済まない、何か当時の希望と現在の後悔とが入り混じった感情がどっと押し寄せてきて、どうにも言い表せないほろ苦さを味わうことがある
それはいつもという訳ではないのだが、何の拍子か突然俺を襲ってくるのだ
たとえばそれは安全地帯の音楽だったりする
真夜中、何となく(珍しく)眠れない時に安全地帯の音楽を不意に思い出して、失った時間やもう会えなくなった人達、終わってしまった出来事なんかが頭の中を駆け巡って、次第にそれらに飲み込まれてしまう…
すっかり「異形の者」となった玉置浩二
今でもテレビで見かけたりすると聴き入っちゃうんだけど、やっぱり俺の情緒不安定時代である19歳から23歳まで(1984年から89年まで)の安全地帯は特別な感じがする
そんな訳で、安全地帯の「真夜中すぎの恋」(1984年)をお届けしよう
とまあ、そんな訳で俺の今後は、できる事を精いっぱいやっていくよりほかないし、それだけじゃなく、まだまだやりたい事もある
ま、その程度の話だけど
子どもたちには、俺みたいにつまらぬコダワリなんかに振り回されずに、やるべきことを精いっぱいやってほしいし、やりたい事も思いっきり頑張ってほしい
俺の歳から見たら、10代っていうのは眩しすぎるんだよな、ホント
そんな自覚を持てったって無理だけど、少しでも伝えられたらとは思う
な~んて無理矢理カッコよくまとめた感じだけど、今は安全地帯について語りたくなってきてしまっている
今回はこの辺にしておいて、それはまた次の機会にしよう
(敬称略)