ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

中西俊夫の命日に因んで

2月25日は、昨年食道癌で亡くなった元プラスチックスのヴォーカル・ギターにしてイラストレーターでもある中西俊夫(Toshi)の命日だった
享年61歳
闘病生活がSNSで公表され、治療のためのチャリティ・シングルの発売などもあったようだが、それを知ったのは残念ながら亡くなってからだったので、俺にとっては突然の訃報だった
 
 
初めてプラスチックスを知ったのは1980年、NHK『600こちら情報部』という番組でテクノポップ特集をした時
これは現在YouTubeでも観ることができる(何といい時代になったことか)
ゲストにプラスチックスの他にP-MODELヒカシューを迎え、何とスタジオで生演奏するという、今から思うと驚きの番組企画だった
 
とび抜けておしゃれで、ドラムとベースがいない編成という脱ロック感が溢れていたので、田舎の中学生だった俺に最も「東京」を感じさせる人たちだった
 
その後同じくNHKの『レッツ・ゴー・ヤング』という歌番組でも2回くらい観たし、番組名は忘れたが加藤和彦が司会の歌番組でも観て、それはカセットに録音した
 
余談だが、その番組の同じ回で加藤和彦高中正義サディスティック・ミカ・バンドの「サイクリング・ブギ」を演奏していて、それが俺が聴いた初めてのミカ・バンド曲だ
アシスタントは竹内まりやじゃなかったかな
 
プラスチックスは’81年の解散まで2枚のアルバムと1枚の新録ベスト・アルバムをリリースしており、解散後も’80年のライブ盤、ライブDVDの他、レコードデビュー前後のライブCD+DVD+BOOKや中西俊夫自伝『プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力』とその付録のデビュー前のライブCDなど、なかなか充実している
 
上記の自伝では、広尾に生まれ育った東京人の、田舎者にはほとんど理解不能スノビズム全開で、枯れることを知らない永遠の生意気な青年って感じがした
 
ドラッグでラリったままTVに出た話とか、細野晴臣にベースを頼んだ際にトーキング・ヘッズのティナみたいに弾いてほしいと言ったら「じゃあティナに頼めば」と言われたとか、テレビ出演の際によく見かけたスティック・ギターは同じ事務所だった宇崎竜童からの借り物だったとか、様々な交友録も含めてどうでもいいけど興味深い、そんなエピソードが満載である
 
付録の初期のライブ音源も面白い
ドラムもベースもいて何だか重い音をしているし、アレンジもレコードではシンセサイザーでやっているパートがベースになっていたり、そしてルー・リード「I can’t stand it」のカヴァ ーも最高だ
 
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プラスチックス解散後はMELON、WATER MELON、ソロ作品(カセット!)があり、その後はヒップ・ホップ・ユニットなどなど、亡くなる直前まで様々な名義、形態で活動は続いていた
 
 
死の約半年前に行われた桑原茂一によるインタビューでは、同じ癌罹患者として坂本龍一から沢山の情報をメールを貰っているとか、自殺した加藤和彦の話だとかを話していて興味は尽きないが、亡くなった後に読んだせいか、中西俊夫の中の絶望感や生きる事への意欲や意思、戦略などが絡み合っていて、何だか辛くなってくる
 
またこのインタビューでは、「世間の認知度が低いことへの憤り」を口にしている
昔のアルバムの再発や、未発表のライブ音源が何種類かリリースされるなどというのは、相当数の固定客が見込まれているということだから、随分と恵まれている方だとは思うが、いつまでも昔の事ばかりというのはやはり不満だったのだろう
 
俺自身はプラスチックスとメロンは今でも聴く機会が多いものの、その後の活動をずっと追い続けて来た訳ではないので、今更とはいえ少し後悔に似た気持ちになる
今後、フォローできていない時期の作品も聴きたいと思っている
 
でもやっぱり、中西が死ぬ間際までボウイやビートルズを聴き続けていた様に、俺も多分ずっとプラスチックスやメロンを聴き続けると思うし、俺だけじゃなくそんな人は大勢いると思う
ミュージシャン中西俊夫は幸せ者だ
 
(敬称略)