洋楽が好きで、邦楽はあまり聴くことがない
日本の音楽が好きではないということではなく、欧米のものの方が優先されてしまうということだ
日本のロックやポップスは、欧米の音楽を手本にしてきた歴史があり、どうしてもそちらが気に掛かるから、というのが理由としては最もしっくりくる気がする
英語の歌詞分かるの、なんて言われたりするが、もちろん分からない
歌詞をそれほど気にしてもいない
そして更に、分からないからいいのだ、とも思っている
歌詞のせいで、もう聴きたくないって事も多々ある訳だし
テレビやラジオや有線などで流れる、いわゆるJ−POPの歌詞が耳に入ってくる
そしてそこで使われている決まり文句に、ひょっとしてこれはパロディなのか、と思ったりする事もある(クリシェ問題)
想像するに「自分の体験」や「自分の言葉」と思っているものが、実はありきたりの紋切り型であることが分からず、結局は陳腐な言葉の氾濫を引き起こしているのではないのか
もっともこれはプロデューサーあたりが何とかしてやるべきなのだろうが
これは日本だけの問題なのかどうかは知らない
なにしろ英語の詞が聞き取れていないし、ましてニュアンスなんか分かる訳がないから
でも、だからこそ洋楽は単純に曲がカッコいいかどうかで楽しむことができる訳だ
言語の性質上、盛り込める情報量も多いしメロディへの乗っかり方も違う
そもそもロックやポップスというものは、英語をベースに形成された音楽ではないのか
なんて偉そうに、日本語の歌に対して少し否定的な感じで書いてきたが、もちろん好きな歌も多い
そしてそれらは上記の問題をクリアしているもの、とも言える(あくまで俺の中で)
そんな訳で、俺の邦楽遍歴を列挙しておこう
みんなメジャー処なので面白みは無いが、まあいいではないか
あと、個人的に重大なYMOとPLASTICSは、ここでは割愛(歌詞が英語だし)
当然ながら歌謡曲スタートであり、沢田研二が好きだったし、郷ひろみの歌も結構覚えている(「ハリウッドスキャンダル」は名曲だ)
その頃の歌謡曲は、今も鑑賞に耐えうるものが多いと思っているけど、それはたぶん歌詞を書いているのが、プロの作詞家だからじゃないかな(あ、今もプロが作ってるのか…)
そして俺の世代は何と言ってもサザンオールスターズ(桑田佳祐)だ
リアルタイムで味わった「勝手にシンドバッド」(1978年)の破壊力たるや
今考えると、それまでの日本語の歌の世界を壊しちゃった訳だから、当時感じた以上に凄い事だったんじゃないかと思う
何を歌ってるのか分からず、分かったと思ったら内容があんなだとは…
歌詞、曲はもちろん、あの声でのあの歌い方には驚いたものだ
わざわざこんなの貼る必要もないけど、一応ね
それから安全地帯(玉置浩二)か
やっぱり声なんだけど、曲もちょっと変わってるんだ、特にテンポのあるやつは
で、アレンジが面白かったし、バンドメンバーの演奏能力も高くて、ちょっとポリスみたいな印象を持っていた(似てるわけじゃないけど)
言葉遊びの多い歌詞は、ほとんど準メンバーみたいだった松井五郎によるもの
M-3「眠れない隣人」は隠れた名曲
デビュー当時、テレビでライヴを観て、たぶん「Maybe Blue」なんかをやってたんだろうけど、詳しくは知らないまま、結構いい曲を作るなぁとは思ってた
でもその後、ホント腰を抜かしたのは「大迷惑」(1989年)
当時は「バンドブーム」なんて言われて、沢山のバンドが出てきたけど、ユニコーンは明らかにズバ抜けた曲を書いていた
ワタクシゴトながら、この頃とても辛かったから余計に思い出深い
そしてそれから数年後にKOされたのはオリジナル・ラヴ(田島貴男)
これはめちゃくちゃカッコいいと思った
とりわけ「夜をぶっとばせ」とか「月の裏で会いましょう」とか、あと高野寛との「Winter’s Tale」も良かった
ライヴも何回か観に行ったよ
「夜をぶっとばせ」はピチカートでのヴァージョンより、こちらの方が好き
ちなみに奥田民生と田島貴男は、ピチカートファイブの『月面軟着陸』(1990年)の中で、「あなたのお名前、何てえの」式のラップをやっていて面白い
ふたりとも世間的にはまだ知名度が低かった頃の話だ
kore ha koi deha nai ※再UPヒアリングver.
ふたりの迷ラップが聴ける「これは恋ではない」が再発盤ではカットされてるぞ、何で?
更にその後、西暦2000年前後の頃はスカパーの契約をしていて、音楽番組なんかよく見てたから、その頃に好きだった日本のバンドもいくつかある
あの頃は最も日本のロックやポップスを聴いていたのだ
それは今後のネタとして温存しておこう(長くなりすぎたし)
ここ数年でいいなと思ったのは、何かと評判の良い星野源と、何かと評判の悪いゲスの極み乙女
星野源はいいとして、ゲスは顰蹙を買うかな…
(敬称略)