ウィーダ『フランダースの犬』を読んだ
もちろん(と言っていいのかは知らないが)、どんな話なのかは知っていた
小学生の頃にテレビアニメで観ていたから
うろ覚えながら、概ねアニメ版は原作通りのようだった
ただ原作はアニメに比べて、話の流れはあっさりとしている印象
原作は文庫本で70ページ弱のところを、アニメでは50話以上に引き伸ばしたからだろう
記憶では、パトラッシュを元々飼っていた金物屋とのエピソードが長かったような気がする
あれ、と思ったのはネロの年齢が15歳だということ
10歳から12歳くらいだと思っていたから
調べてみると、アニメでは12歳の設定だったようだ(ウィキペディアによる)
そうなると当然受ける印象も違ってくる
原作では、ネロに画家としての自負を持っている様子が書かれている
それ故にコンクール落選が金銭的にはもちろん、気持ちの上でも大きなダメージとなる訳だ
さまざまな苦難にも辛うじて耐えてきたネロの心は、この事で完全に折れてしまったのだ
個人的な印象として、12歳であればあの結末はあってはならない悲劇となるが、15歳ならば八方塞がりの状況の果てに力尽きたという感じを受ける
いや、どちらも子供だけどね
悲痛な出来事には変わりないけども
年齢を変えたのはどう言う理由からなんだろうか
子供向けのアニメだから、出来るだけ視聴対象者に近い年齢が良いという判断なんだろうか
いや、そもそもあんな悲しい物語を子供に見せちゃダメだよ
さて、ネロの親友、忠犬パトラッシュ(村岡訳ではパトラシエ)
原作はかなり擬人化されて描かれている
思うにこれ、犬だからいいのであって、猫や象やイルカじゃこうはいかない
俺ははっきりきっぱりと猫派なんだけど、何らかの理由で犬を飼うことになったなら柴犬か秋田犬がいいね
車の窓から顔を出してる柴犬をたまに見かけるけど、なんてお前は可愛いんだ、といつも思う
そして猫よりも犬の方が、感動を与える物語にははるかに適していると思わずにはいられない、、、今更ながら
ボードレールの『パリの憂鬱』の中に「善良な犬」という散文詩がある
たぶん猫派であったろうボードレールが、ある画家の依頼を受けて犬を題材に書き上げたものらしい
これがなかなか感動的
厭らしいのは器量自慢の犬、あの四つ足のうぬぼれ屋だ
自信たっぷり、お気に召すのは当然とばかり、お客様の足の間や膝の上に厚かましくも踊り込んできて、餓鬼のように騒がしく、売女のように愚かしく、時にまた下男のように突慳貪で横柄だ
とんがった鼻づらに仲間の足跡をつけてゆくだけの嗅覚もなく、その平べったい頭の中には、ドミノ遊びをするだけの知恵もない
どいつもこいつもうんざりするような居候ども、犬小屋に失せろ
私は歌う、泥まみれの犬を、貧しい犬を、宿なし犬を、野良犬を、辻芸人の犬を
その本能が、貧乏人や、浮浪者や、旅芸人のそれと同じように(略)、驚くばかりに研ぎ澄まされた犬を
齋藤磯雄訳(原文は旧字旧仮名)
犬派の方にはちょっとどうかな、と思われる箇所もあるけど、どうですかね
でも何か犬にはこうした〈悲劇性〉みたいなのが似合う
これは猫にはない魅力だと思う(種類にもよるかな)
ところでこのボードレールの詩、さきほどのくだりの後に以下の言葉が続く
私は歌う、薄幸の犬たちを(略)、世に見放された男に向かって、しばたたく霊的な眼でこう告げた犬を、「わたしを一緒に連れていってください、そしたらわたしたち二人の不仕合せから、多分一種の幸福を作り出せるでしょう」
これはまるで原作でのパトラッシュの言葉じゃないか
ウィーダは『フランダースの犬』を、ボードレールの影響下に書いたに違いない
…なんて事はないか
こんな楽しい歌で始まった物語が、あんなにも悲しい終わり方をしていいものだろうか
アニメ版でのラスト、クリスマスの教会でついに力尽きるネロに寄り添うパトラッシュに向かって
パトラッシュ、疲れたろう
僕も疲れたんだ
なんだか眠いんだ
と語りかけるシーンは思い出しただけで涙がこみ上げてくる
念願のルーベンスの絵を観る事ができ、正しい清い心と前途有望の天才を認められたネロ
天に召されたのもパトラッシュと一緒で、必ずしも悲しみで塗りつぶされた物語ではないと思いたい
ちなみにこの本にはもう一編、「ニュールンベルクのストーブ」が収録されている
こちらも貧しい少年が主人公なんですが、ご心配なく、ハッピーエンドです
悲しい物語を続けて読むのはツラいという方の為に敢えてバラしちゃいます(ごめんなさい)