ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

いかにして精神的危機を回避するのか

若い頃、心が弱く情緒不安定だったので、些細な事でも精神的な負担に感じて、随分と無駄な苦労をした

 

そして夢や希望もあった一方で、上手くいかなければ自殺すればいい、と考えていた

結果、全然上手くいってないが、どっこいこうして生きている

 

その頃はかなりナーヴァスな精神状態だったが、どうも「苦悩」を抱え続けることができない性分なのか、自殺などを考えはしても、実行するにはあまりにハードルが高すぎたし、そもそも今考えると、それは小さな自尊心の問題で、死ぬほどのことではなかった

 

 

数えてみたら俺の身近で自殺した人は7人もいて、更に未遂は2人いる(ひょっとして未遂はもっといるかもしれない)

直接関わりがあったのは1人だけだが

 

今波紋を広げている、ご当地アイドルの自殺はとても痛々しいものだが、真相はどうあれ、命と引き換えにしなければいけない程の事ではなかったと思うと、余計に可哀想な感じがする

 

 

だが自殺というのは結局そういうものなのかもしれない、とも思う

この世に命と引き換えにしなければいけない事はそんなに無い、などとは言っても所詮それは第三者の意見だ

そして親兄弟には相談しにくいもので、思春期は特にそうだろう

それで思いつめた挙句、正常な思考ができなくなり、八方塞がりのように感じてしまうのではないのかな

 

 

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実はついこの間、知人のお姉さんが自殺を図ってしまった

幸い未遂に終わり、今はその筋の病院に入院して、だいぶ落ち着いたようだ

長らく鬱病を患っていたらしいが、二十代の息子が二人いて、まだまだ死ねない筈だとは思うのだが、突発的にやってしまったらしく、遺書も無かったとのこと

 

 

年配者の鬱による自殺に比べれば、10代20代の場合は、第三者の適切なアドバイスなり説得なりで、多くは防ぐことができるような気はする

 

以前話題になったテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のタイトルはハンガリーの諺だそうだが、その言葉のように、逃げることは必ずしも恥ではないし、もっと突っ込んで、

 

匈奴は、戦いにおいて有利とあれば進撃し、不利となれば退却する

(彼らは)逃げることを恥とは思わないのだ

 

という『史記』の中にある言葉*1も非常に参考となると思う

しかもここには漢民族の夷狄に対する侮蔑も含まれている筈で、それが一種の虚栄心であることも考え合わせると(司馬遷の意図を離れて)、また別の教訓があると感じる

 

 

家に思春期の子どもがふたりいるので、些細な事をきっかけに心に闇を抱えてしまって、その状態から抜け出せなくなったりしないだろうか、と自分の経験から何となく心配をしている

しかし上述のように、親のできることはかなり限定的ではないのか、と俺はやや悲観的だ

さてどうしようか

ちなみに現在はふたりともそんな気配など微塵も見えないので、どうやら取越し苦労のようだが

 

 

ところで、ハンガリーのルーツには遊牧民族が深く関係しているそうだが、例の諺にもそのことが何か影響しているのだろうか

*1:匈奴列伝より