いよいよ新元号の発表だ…なんて本当はどうでも良くて、結果だけ分かればそれでいい
俺は「西暦派」なのだ
ところで、エイプリルフールという事で、嘘の元号を堂々と発表する、勇気あるテレビ局はないだろうか、ないね
とか言っておいてなんだけど、俺は「元号」というものに反対な訳ではなく、むしろ賛成派だ
元号に比べて西暦が便利だから「西暦派」だってだけなんだ
でも、進歩的知識人が言いそうな合理主義で日本の元号を廃止しよう、なんて言うヤツは嫌いだね
それぞれ独自の年号があっていい訳だ
右翼っぽいし、今使ってる人なんているのかな、実際
ただ、今や西暦が世界中どこでも一番分かりやすいってだけの話
でも西暦(キリスト紀元)だって何年かのズレがある訳だから、キリスト教と切り離して使ってもいいのだ、ってのは屁理屈かな
ま、「西暦派」だって言っても、何年生まれか訊かれたら「昭和」で答えるけどね
たぶん、俺が「西暦派」なのは、洋楽が好きだからだと思う
欧米バンドのレコードリリース年を昭和に換算したりはしないから
あと柄谷行人が、1970年代から「西暦」による区切りとなり「昭和」は終わった、みたいな事を書いてるのを読んで、確かにそうかも、と思った*1
ま、俺の理由は世代的なものであって、柄谷のいうところとは少しズレているが、な〜に大きくはたぶん同じだと思う…よ
俺は世代として、昭和50年前後辺りからの文化というかサブカルの影響を強く受けているわけで、つい今しがた「昭和50’s(フィフティーズ)」という言葉を思いついた
アメリカ文化の全盛期である「フィフティーズ」の縮小版といった感じか
ま、これはまた別の機会にでも書こう
前回の改元の日、1989年1月8日の事は覚えている(それを西暦で書くのってどうなんだろ)
電気代を払いに行った東京電力のテレビで昭和天皇の崩御を知り、その夕方に小田急線新百合ヶ丘駅前のとんかつ屋のテレビで「平成」と発表している映像を見たのだ
当時の俺は情緒不安定のフリーター
その前日の1月7日夜に外泊から帰ると、電気が止められていて、一晩寒くて真っ暗な中で過ごしたので、その憂鬱な心の記憶と共にそれはある
明日の新元号発表日は、たぶん何もないだろうから、記憶には大して残らないだろう
改元の日も、変に思い出になるような出来事の無いよう祈るが…その日は単なる仕事の日か、な
(敬称略)
*1:どの本でだったのかは忘れた