ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

親離れと子離れの問題

我が家のふたりの子どもはこの春から、それぞれの新しい場所で頑張っている

あいにくコロナ感染があってスタートに躓いてしまったが

本人たちはあまり気にしていないようだったし、特に影響が出たようでもないので良かった

 

下の子(娘)はどうにか志望の公立高校に合格し、本人もそうだろうが、親としては嬉しい限りだ

合格が決まるまで、こちらはヤキモキ心配のし通しだったが、本人は何やら確信していたようで動ずるところはほとんどなかった

というのも、2年生の終わり頃から成績が急下降していたから、いやあ、よく合格したよ

 

 

そして兄の方

今年高校を卒業して、就職先も決まった

妹同様にコロナで休んだが、やはり本人は気にしていない様子

 

実は息子は、高校の推薦を受けての大学進学を志望していた

高校入学後の進路希望で、進学と聞いたときは少なからず驚いた

全く考えていなかったから

 

大学は地元の県立大学という事だったから、お金の方もまあ何とかなるだろうとも思った

あとは本人の努力次第だし、と

そして、それはそれで悪くない選択だとも

 

成績は特に良くもなく悪くもなくといったところだった

ただ推薦を受けるには全く足りなかった

本人も特に頑張ってる風もない

 

ところが2年生の中頃から急に成績が上がった

本当にそれは急上昇だった

ひょっとすればひょっとするんじゃないかってくらいに

 

しかし結果は残念ながら推薦は受けられなかった

かと言って進学校でもないから、他の受験生と勝負するには正直なところ厳しい

息子にはそういった事も説明し、就職も視野に入れさせつつ、でも後悔のない選択をするようにと話した

 

ただ就職活動するにも11月を過ぎていたのでどうなるのかと思っていた

本人は進学への気持ちが強いように見えた

どうする、浪人するのか…

 

翌日、就職すると言ってきた

大学はいいのかときいてみたが、もういいと言う

それ以上は聞いていない

 

学校に来ている求人をいくつか持ってきていた

どれを見ても何がいいのか、さっぱりよく分からない

適正だって分からないし、実際のところは入社してからどうなのかってところだろう

 

それから数日後、取り敢えず1社に願書を出したと言っていた

まあ、そこがダメでも次があるからな、考えとけよ、なんて言ってたら

あっさりそこに決まってしまった

 

そこは有名な地元企業で、福利厚生も良いようだし、何より当分つぶれる心配はなさそうだ

職場もきれいで、何だか羨ましいくらいだ

あとは本人がそこでやっていけるかどうかかな

 

 

なんて心配のしすぎで、我ながら過保護だなぁと呆れてもいる

思えば俺の母親も過保護だった

未だにそんなとこあるし

 

先日、妻の母方の祖母の葬式があって、たまたまその日は休みだったから急遽参列した

俺、自分の母親が死んだら、たぶん泣くだろうな、と式の最中に思った

子供たちにもあらかじめ宣言して予防線を張っておいたけど、ドン引きされない程度にはしたいもんだね

 

と、まあ、そんないい歳になっても「お母さんっ子」な俺ではあるが、高校を卒業すると家から出て現在に至っている

東京に行き、数年後地元に帰っては来たものの、実家には戻らなかった

いや、特に珍しくもない話ではあるが、何となく感慨深く感じている

 

というのも現在、息子は高校を卒業しても家から勤めに行っている

そうか、俺はこの時点で家から出ていたのか、と

あれから40年近く経ったが、何となくちょっと前の事のような気もするし

 

一方で、あの時、あの過保護な俺の母親はどんなに寂しかっただろうかと想像してみる

寂しい思いをさせただけの成果も上げられなかった事に申し訳なく思うところも少々ある

ま、俺の一方的な思い込みだけならいいけど

 

 

親離れ子離れはとても難しいと感じる

もし息子が、例えば県外に就職して家を出たとしたら、俺の心にはどんなに大きな穴が空いただろうか

そしてあとは下の子がどんな選択をするのか、気が気じゃないね…

 

  

という訳で、デヴィッド・ボウイの子煩悩ソングをお届けしよう

 


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1971年、ボウイ初めての子ゾウイ(ダンカン・ジョーンズ)が生まれてできた歌

現在は映画監督として活躍している