ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

そこで、なにを、してるんだ SNS

今年に入ってツイッターを始めた

デヴィッド・ボウイビートたけしルー・リードなどの発言集を読むためだ

それまではそれぞれをブックマークしていたんだけど、どんなものなのかという好奇心で

 

ただしこのブログとは連携させてはいないし、その予定もない

この先続けるかどうかもわからない

そんな訳で、甚だ消極的な使い方ではある

 

でもモノは試しと、いくつかツイートしてみた

コロナの事、マスクの事、休校の事など

するとどうだ、あっという間に閲覧数は1000を超えた

 

一体どんなワケで無名な俺の独創的ですらない「つぶやき」が見られることになったのか

何これ、と驚いたと同時に少しだけ怖くなった、というか気持ち悪いと思った

もっとも「いいね」はふたつきりで、リツイートもなければフォロワーもいないが

 

 

我が家は新聞をとっていないので、世の中のニュースはもっぱらネットということになる

政治マニアでもないのでこれで十分なんだけど、今更ながらそこに関しては新聞と併用の方がいいなと思っている

誰それがこう言っている、とかいうネット特有の記事は大して役にも立たない場合がほとんどだし

 

この度のコロナ感染拡大に付随する現象として、マスク不足やトイレットペーパー不足、またその他買い占めなどが発生したが、これも製造会社や製造工場の問題ばかりでなく、テレビやSNSによる「煽り」が大元だろう

テレビではさすがにデマを発信する可能性は低いが、SNSとなるともう歯止めが効かない

しかも愉快犯ばかりでなく、「善意」による拡散もあったりするから始末に負えない

 

あと風評被害なんていうのも昔からあったんだろうけども、爆発的に広げるのはSNS

しかもそのほとんどは「善意」によるものだろう

そして「善意」によるっていうのが気持ち悪さの根源だろうな

 

大方の意見は正しいんでしょうよ、分かるよ、何がってその気持ちが

でも鬱陶しいんだよな

ま、善意にもいろいろな形があるということだが

  

わざわざ書きこむ奴って、大目に見積もっても全体の10%程度に過ぎない思うけども

うるさい少数派

でもそんな奴らの意見が、その五月蝿さのせいでまるで多数派かのようにというか、そう考えないといけない、いや最初からそう思ってた、みたいになっていく事の薄気味悪さ

 

何しろ、どうって事のない俺の「つぶやき」が、あっという間に1000人以上に読まれる時代だ

これじゃどんな意見でも余程の非常識でもない限り、どんどんその考え方は感染していくだろう、なるほど〜なんて

要するに洗脳って訳なんだけど

 

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坂口安吾が、女と心中した太宰治の追悼文*1でこんな事を書いている

一年ぐらい太宰を隠しておいて、ヒョイと生き返らせたら、新聞記者や世の良識ある人々はカンカンに怒るかもしれないが、たまにはそんなことが有っても、いいではないか

今だったらネットに、本当に死ねば良かったのに、とか書かれるだろうな

 

でも同様に志村けんの死が、実は日本人に外出自粛を促すための狂言だったら、と思う

その死は明らかに世の空気を変えたと思うし、だからこそ1年後に、実は生きてました、なんて出てくればいいのに、と

もちろんこれは不謹慎で子供じみた妄想ではある

 

仮にそれでコロナ感染の拡大を防ぐ大きなキッカケとなったとしても、総バッシング食らうだろう

良識派は人騒がせだと眉をひそめるだろう

そして口汚い罵倒の言葉が、クソみたいな奴らによって撒き散らされるだろう

 

なにも自分の妄想に腹を立てなくたって…

でもそれくらい残念で堪らない

冥福を祈る

 

(敬称略)

 

*1:昭和23年「不良少年とキリスト」