ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

ウルサイ連中に注意

先日『基礎からわかる漢文』を購入

完全に「ジャケ買い」だった

昭和の参考書感が、俺のノスタルジアを刺激した

 

更にその日はブックオフで『漢詩入門』なんてものも110円で購入

いよいよ俺にも、あの「白髪三千丈」の世界に突入する時が来たのか

ただ改めて考えると、別に基礎から漢文をわかる必要は無い

 

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何ヶ月前だったか某人気バンドの歌手が、漢文の授業に意味があるのか、ってツイートして物議を醸した、、、のかな

前時代的だ、とか

どうせなら中国語を教えてくれた方がマシ、とか

 

でもあれは国語の一環としてやっているのであって、中国語をやっているのではない

だから意味が無い訳ではないと思うけども

今後の国際情勢を考慮して中国語を学ぶべきだ、という意見ならまあ分からんでもないが

 

好きか嫌いかだけで教育を云々しちゃいけない

爆発的に売れて人気者になると、すぐ正論顔して薄っぺらなこと言うんだよな

流行歌手風情がさ、賢いとこ見せたくなっちゃって

 

…なんて思ってたら、大変な高学歴みたいなのな、この人

驚いちゃったよ、、賢い人は振り切れてるね、考え方が、さすがだよ

でも高等教育普及の成果か、今や日本国中そんな賢者が溢れかえっちゃって参っちゃうけどさ

 

ただこの件に限らず、こうした目からウロコとも言えないような独善的意見をネットのニュースとして拡散するってどうなのか、とは思う

ましてこれなんか元々はファンに向けたメッセージに過ぎないワケだ

そうやって一部の人間の偏った考え方が、じわ〜っと主流の意見や風潮になるかもしれず、なんか怖い、というか嫌だ

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さて、さっそく『漢詩入門』の中にいいのを見つけた

及時当勉励 歳月不待人

 

時に及んで当(まさ)に勉励すべし

歳月 人を待たず

陶淵明(365-427)の「雑詩」という五言古詩という形式のものだそうだ

一海知義(いっかいともよし)の訳によると

時を逃さず、無理をしてでも遊ぶんだ

年月は待ってくれないぞ

解説によれば「勉励」の解釈を、陶淵明よりずっと昔の句を踏まえて「勉強」とは取らない云々とあるけど、ここでは省略

だから何だって話だが、「無理をしてでも遊ぶんだ」っていうのがいい

そして「年月は待ってくれないぞ」、、「時を逃さず」、「今でしょ」と

 

(敬称略)