林修先生の言葉「いつやるか、今でしょ」
何事もこれに尽きるんじゃなかろうか
いや、何をどうやってやるんだよ、という人もいるだろう
知るか
そんなの自分で考えろよ
という訳で何にせよ、やるのは常に「今」でなければならない
特別な言葉でも何でもないし、形は違えど昔から言われているのも知らんではないが、ここ数年で一番感心した言葉だ
何を言うかも大事だが、どう言うかも大事だと言うこと
シャープなんだな、「今でしょ」って
世には自己啓発本なんてのが沢山あるけど、そんなに読まれてるんだろうか
どこかで聞いた事のある話が形を変えて書いてあるだけなんじゃないのか
ま、読まれて買われてるから、あんなにも書店でスペース使ってるんだろうね
でも、ちらっと立ち読みした感じでは、この「今でしょ」に勝る言葉は多分無いよ
…なんて、よく分かりもしない事に、これ以上はやめましょうか
今後の参考にしようとか思って読まないから、何の感銘も受けないんだろう
さて、アンデルセンの「モミの木」という童話はご存知だろうか
手元の『アンデルセン童話選』1巻本に入ってるくらいだから、代表的な作品なのかもしれない
俺は初めて読んだのだったが
主人公はモミの木(童話だからね)
いつも現在の自分に不満を持っている、ある種の「意識高い系」って感じだろうか
まだ子供のモミの木は大きくなりたい気持ちばかりで、何事も楽しいと思えない
そんなある時にお日さまがモミの木に言う
お前の若さを楽しむがいいよ
お前のみずみずしい成長ぶりを、お前の中にある若々しい命を楽しむがいいよ*1
その後モミの木は幾つかの体験をするが、自己実現もさほど果たされる事なく月日が流れてしまう
そしてある日突然、薪にされて生涯を終えるが、その時に哀れなモミの木が言う
おしまいだ、おしまいだ
できる時に楽しんでおけば良かった、おしまいだ、おしまいだ
かなり残酷なお話だが、これは林先生の言う「今でしょ」とはまた少し違う「今でしょ」
何だか身につまされる
俺も50歳半ばになり、色んな事が過ぎ去って終わってしまったという、何だか虚無的な感慨に襲われてしまう時がしばしばあるから
でもだからこそ「今でしょ」なんだよな、って感じかな
何だかバカポジティヴ(あるいはポジティヴバカ)だけど
なんて、こんな教訓風な事を恥ずかしげもなく書いてしまっていいのか…
大岡昇平はアンデルセンを子供に読ませるのは鬱病的になるかもしれないとして、あまり賛成できないと言っていた
そしてこの「モミの木」、終わり方が更に子供向けじゃない感じ
(略)
それはモミの木が一生のうちで、いちばん幸せだった晩につけていたもの(星の飾りもの)です
今はそれも、おしまいになりました
モミの木もおしまいになりました
そして、このお話もおしまい
なにもかも、おしまい、おしまい
お話というものはみんな、こうなるものなのですよ!
ついでに俺のお話もおしまい
*1:大畑末吉訳 読みやすいように漢字にした箇所あり 以下引用部同じ