先日ザ・ドゥルッティ・コラム、1983年リリースのライヴ盤『Live At The Venue, London』を手に入れた
これは発売当時4000枚限定として出たもの
現在はiTunesなどからダウンロードできるようになっている
ドゥルッティ・コラムは1978年に結成され、翌年イギリスはマンチェスターの、かの有名な「ファクトリー」という、ジョイ・ディヴィジョン(後のニュー・オーダー)などが在籍した伝説的インディー・レーベルからデビューした、正規メンバーはヴィニ・ライリーというギタリストほぼひとりだけのバンドである
サポート・ミュージシャンとしてブルース・ミッチェルという、当時すでにお爺ちゃんのような感じのパーカッショニストというかドラマーが長く活動を共にしている
実際はそれほどの歳ではなかったが…
この煤けたようなジャケットがまたなんとも
このエコーたっぷりで透明感溢れる音のエレキギターで奏でられる抒情的な音楽は、どこかノスタルジックな想いを誘う
思い出そうとしても思い出せず掴んだかと思ったとたんに消えてしまう、子供の頃の思い出のような音楽
こんな音楽がパンク・ニューウェーヴの流れで出て来たっていうのもまた面白いけど、それに関して今は触れない
このライヴ盤では、アコースティックギター的奏法によるエレキギター(思うにこの時点でかなりな希少価値だが)とパーカッションという、ふたりだけの編成
曲によってはヴィニ・ライリーによるエレクトリックピアノや肺活量の無さそうな不明瞭なヴォーカルが入る
1984年、俺が初めて観た外タレ・ライヴがこのドゥルッティ・コラムの初来日公演だったが、その時も演奏はふたりだけだった
するとパーカッションのブルース・ミッチェルが普通のドラムセットを、な、な、なんと素手で叩いていたのにはちょっと驚いた*1
このアルバムが出た1983年といえば昭和58年、俺は高校3年生
高2の時にこのドゥルッティ・コラムを雑誌で知り、すぐにでも聴きたかったんだけど、当時俺の住む地域には輸入レコード屋が無くて、1年近くも妄想し続けた挙句に夢にまでで出てきて、いざレコードを入手して聴いてみたら想像(妄想)通りの音で、かつ予想以上の感銘を受けたのだった
初めて買ったのは当時の最新作、1981年のセカンドアルバム『LC』
次に買ったのがこのライヴ盤で、それは高3の夏休みの終わり頃
夕方、家の近くの堤防をウロウロ特に当てもなく歩き続ける、なんていう今となっては謎の行動の思い出と共にその音楽はある(ような気がする)
ノスタルジックっていうのは、あくまで当時の俺が感じたものなんだけど、それは今でも同様だ
しかも高3の夏の夕焼けと二重写しになって
謎の懐かしさに包まれたあの頃も懐かしいっていう、ノスタルジーの底なし沼
たぶん俺は死ぬまでこの切なさに苦しめられるだろう
レコード(アナログ盤)を20年くらい前にMDに録って聴いてたけど、MDプレーヤーもレコードプレーヤーも壊れて、もうかれこれ10年位聴いていなかった
長らくYouTubeにもアップされなかったし、そもそもYouTubeで聴くのって少し気分が違うし
んで10年くらい前に、同時期のライヴ盤が出たから入手して聴いてたんだけど、それはそれでいいんだけど、どうしてもこちらのライヴ盤の方に軍配が上がる
世間知らずで、強情で、今思い返せばビックリするくらい繊細だった俺の少年時代のサウンドトラックみたいなものだからだ
なぁ~んて内なるナルシスが染み出してきちゃったな
The Durutti Column - Sketch for summer
現在ヴィニ・ライリーは2010年に発症した脳梗塞の後遺症のために、以前のような活動ができなくなっている
それに伴っての深刻な貧困問題もあったようだが、寄付などの救済処置もあり、そこは無事乗り越えたようである
ただ、寄付に対しては感謝の想いと同時に、アーティストである自分が不当に優遇されているのではないかという居心地の悪さを語っていた
そんな訳で、ドゥルッティ・コラムに関して今後は、中古ではなく新品を買おうと決心した
こんなこと言ってたらキリがないけども