松尾剛次『破戒と男色の仏教史』を読んで
本のタイトルから、「あ~、そっちの話か」とお思いになるかもしれませんが、違います
仏弟子として釈迦の悟りの境地を得るには、規則である戒律を守らねばならないワケだが、いつしか日本仏教ではその戒律が破られ(破戒)、インドやタイなどとは独自の道を辿ってゆく
その「戒と僧侶の身体論から見た苦悩と変革の日本仏教史」の一面を書いた本だ(俺にはその「身体論」とやらはよく分からないけどね)
で、それはともかく、その戒律というもの、釈迦の死後の僧団が分裂したために戒律書は複数あるのだが、基本的には同じらしい
日本では古来、『四分律(しぶんりつ)』と『梵網経(ぼんもうきょう)』の戒律が重視されたとの事だ
ま、そんな細かい事はどうでもいい
要はそれら戒律書の中で、最も重く見られていたのが「不淫戒」という性交を禁じるもので、それは人間ばかりか動物にまで及んでいたというのだ
いくら淫行が禁じられていたとはいえ、獣姦にまで突き進んでしまう心のメカニズムは、禁欲とは程遠い俺のような人間にはさっぱり見当もつかないが、とにかくその旨が明記されているとの事
そこで思い出すのは、有名な(?)獣姦の笑い話
所詮は他愛のない作り話、そこにリアリティは求めぬようお願い致します
いつ頃聞いた話だったかは忘れたが、たぶん十代の頃だったと思う
広大な砂漠のド真ん中、ラクダに乗った旅人がひとり
そして彼はずっと、高まる性欲に悩まされていたのである
そこで名案、ラクダとやっちゃおう、という(メスだったのかな)
でもラクダは当然その気になる筈もなく、とてもじゃないが彼の思い通りにはなってくれない
と、そんなところへ通りかかった女の旅人
そこでその女性に、ラクダを押さえつけていて欲しい、とお願いした
という話
現代ではこれが笑い話になるのだろうが、何百年も前のある種の人たちにとっては切実な問題としてあったのだろう(それはないか)
俗人とは違う、この手の「高み」を目指す人たちの大真面目なクレイジーさは、今も昔も変わらないんだと思う
ところで相対的には、今と昔とどちらがより狂っていると言えるのか、判断は難しい