ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

遺伝偏重の考え方に対して

知的能力も含めて多くの能力が遺伝する、つまり遺伝でほとんどが決まるから努力はあまり意味が無い、というような事を書いた本が今話題となっているという

 

その本の事は知っていたが手に取った事が無かったから、ざっと立読みしてきた

でも所詮立読みの斜め読みなので、勘違いもあるだろうから、以下はその本のレビューのつもりはない(と逃げておく)

よってその著者や書名は明記しない

 

 

という訳で…

なるほど、それは残酷すぎる真実だ

こんな事は確かに言ってはいけない事柄なのかもしれない

 

 

でも本当にそうだろうか

みんなが気になる知能の遺伝

でもその知能がせいぜい勉強程度の話ならば、遺伝で左右されるとはどうしても思えない

 

それは(進化も同様に)何年とか何十年なんかの話ではなく何千年、何万年レベルの話であり、主には種の生存に関わるものなのではないのか

だから種の全体の能力が、遺伝によってそんなにもバラツキが出るって変じゃないかな

そもそも遺伝って、そんな文化的なところまでも支配するシステムなのか

 

その本では否定されているが、俺はそれでも後天的なものが大きくものを言うと思っている

もっとも、こういう事に関してトヤカク言えるような知識がないので、批判めいたことはこの程度にしておく

 

 

この説を受入れる人と受入れられない人の違いにも個々いろいろあるだろう

受け入れられる人は、社会的に成功している人と、失敗の理由を運命などにしたい人となるのかな

あとは現在の努力をやめる理由が欲しい人などか

 

教師だという人が、この説を支持しているのをネットで2件ばかり見かけた

曰く、どんなに教えてもダメな奴がいる、と

これは自身の現状にある程度優越感を持った者としての「上から目線」に加え、仕事の徒労感や、教える事の努力をやめる言い訳が欲しいという現れだろう(もちろん教師の殆どがこの考え方だと言っているのではない、念のため)

 

 

その本の著者は、だいたい遺伝で決まってるんだから、無駄な努力はやめて、それぞれ身の丈にあった事をしていれば幸せになれるよ、というメッセージを送っているのかもしれない

あるいは価値観を一つとしないで、もっと自由に人生に臨むべきだ、とか(俺のような落伍者にはしっくりくる人生観だ)

 

でも極端な遺伝偏重主義的思想が一般化するのってどうなんだろう

遺伝にこだわると、階層の固定化を促進して、全て血筋や家柄に還元していこうとする宗教的なものになってしまわないだろうか

 

それは時代錯誤のようにも思えるけれども…

あるいは「科学」の裏付けを得たと称する階級制度の新たなステージに入ろうとしているのか

しかも「格差」の拡がる現代社会では、既にそんな空気が漂っている感じがしなくもない

 

ああ怖い、この雰囲気

 

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