中央公論社「世界の文学」第9巻、スタンダール『パルムの僧院』の月報で、深田久弥が「『パルムの僧院』の一場面」と題して、訳者である大岡昇平に絡めた一文を寄せている
それによると深田のフランス語の先生は二人いるという
堀はメリメの『カルメン』、大岡はスタンダール『恋愛論』をテキストに使ったという
ここでちょっと面白いのが、大岡昇平は堀辰雄が大嫌いで、なんとそのことに触れた文章まで残している事だ
昭和28年に書かれた「わが師わが友」(『昭和文学への証言』所収)の中にそれはある
(中略)しかし僕は堀辰雄の人も作品もきらいなのである。
「聖家族」を雑誌で読み、ラジゲ*1のオウム的口真似に不快を感じて以来、堀の作品を読んでいない。二、三度銀座や追分で会った感じでは、空とぼけたいやな奴だった。
(中略)王朝物、信州物なぞ、最近必要があってざっと読んだが、よくもこう臆面もなく、出鱈目が並べられたものだ、と呆れたのである。
粧われた心だけが、粧われたらものに感服する、とむかし小林秀雄が言ったが、堀の作品と高級ミーハーの間の関係は、その標本みたいなものである。
とまあこんな調子で、堀辰雄ばかりかそのファンまで叩き斬っているのは、やり過ぎじゃないのかとは思う
しかも堀が死んで間もない頃に、なのだ
現在ではとても考えられないが、それは現在から見れば、の話なのだろうか
大岡昇平(1909〜1988)
堀辰雄(1904〜1953)
思うに文学者はその昔、今とは違って野蛮人が多かったに違いない(特に悪い意味ではない)
30年くらい前までのロックミュージシャンや芸人みたいに
俺は大岡昇平のファンで、作品はまあまあ読んでおり、まだ読んでいない有名作は『レイテ戦記』くらいだが、肝心のそれを読んでないんじゃファンを名乗るのはどうかとも思われる向きもあろうけれども、まあそこは見逃してもらおう
一番面白いと思ったのは『俘虜記』
今年に入ってからは、たまたま雑文集を古本屋で見つけたので、それも読んだ(『証言その時々』と『昭和末』)
一方で、堀辰雄もよく読んだ頃があって、それは小説よりエッセイが主で、プルーストやコクトー、リルケは勿論だが、『ポルトガル文』や『アベラールとエロイーズ』などの書簡文学への興味を掻き立てられたのは、モロに堀辰雄の影響だ
また堀辰雄門下の福永武彦や中村真一郎なども読んで、やがて文学史などというものに関心持つに至った
余談だが、この文学史への関心は本を読む原動力や推進力にはなったが、妙な不自由さを感じながら読むという悪影響もあったと思っている
もっと自由気儘で良かったのだと気づいたのはだいぶ後の事だ
大岡昇平は八十近くまで生きたが、終生若々しい印象があったし、堀辰雄は五十近くまで生きたが、何となく早世したイメージがある
(敬称略)
*1:レーモン・ラディゲ