ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

つぶれるまで 08:二代目社長の思い出

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします

 

どうにか会社は2017年を乗り切る事できて、新年に突入した

年末には、社長がある取引先に相当な脅しをかけられたらしいが、まあいい

社員を犠牲にしての延命処置するのでなければ、何でもいい

 

 

今回は正月という事で、倒産する話はやめて、2005年に亡くなった前の前の前の社長(二代目)について書いておこう

 

 

その社長は、2005年に癌で亡くなった時に59歳だったので、昭和21年生まれの、生きていれば今年で72歳という事になる

東京の有名大学を出た、痩せて険しい顔をした、神経質な人で、いつもへの字口をして不機嫌そうな印象だったが、我が社歴代の社長の中で、最も社長らしい人だった

実際、受け継いだ会社を地域一番店として、経営体制を磐石なものとしたのだ

 

倹約家で派手な事を嫌うところがあって、当然会社の経営もその調子の、かつ厳しいものであったから、独善的に感じる事が多々あり、それに反発して辞めていく社員も沢山いたが、私財を社員の子供の大学進学時の奨学金として無利子で貸したりするなど、会社ばかりでなく社員の生活に関しても考えている人であったと、俺は今思っている

先輩方は、給料が安いなどとぼやいていたが、地方企業としては結構いい方であったと思う

 

会議では、暗い説教会になる事もしばしばで、社長も鬱っぽかったけど、こっちまで鬱になりそうだった

会議で社長とモメて辞めていった人も何人かいた

いやホント、あの会議にはうんざりさせられた

 

 

そういえば一度、社長の髪がどんどん抜け始め、ほとんどスキンヘッドになった事があった

俺たちは抗癌剤の影響じゃないかと噂していたが、どうやら円形脱毛症のひどいものだったらしい

それは当時、大手ショッピングセンターが元旦営業するようになって、我々もテナントで入っている関係上従うしかないのだが、その反対運動の先頭に立って頑張っていたのが、結局受け入れざるを得なくなり、大いに落胆したのが原因だったようだ

元日営業が決まった時に社長は、頭を下げて申し訳なかったと我々社員に謝罪したのだが、まあそれだけ思い詰めていたという事なのだろう

俺は、そんな程度の事で社員に謝罪するというのが意外で、見直したと言うと変だが、妙に感心したものだった

 

f:id:s-giraffeman:20180102002049j:plain

 

そんな思い詰める様な性格が、癌になって早死にした原因だと皆言っていたが、若い頃は学生運動もしていたようだし、趣味は山歩き位だったらしいし、そもそもが社長には向いていなかったのかもしれない

 

それに比べて、次の代の馬鹿息子社長は、フェラーリだのハマーだのを乗り回し、会社の金を湯水のように使い、ほんの数年で会社を潰してしまった

なぜ、息子の教育は桁外れの大失敗だったのか…泉下でどのような思いをしているだろうか

まあ、今回はその事に触れるのはよそう

 

しかし、それとは別に、その亡くなった社長がまだ生きていたら、どうだったであろうかと思わずにはいられない

 

真面目にコツコツやっている社員をこそ、大事にしていきたいと言っていたようだ

二十代半ばにフリーターあがりで入社した俺の事は、どうやら遊び人だと勘違いしていた様な節があったが、それでもコツコツ真面目な社員だと思ってくれていただろうか

 

自身が真面目で勉強熱心な人だったので、仕事上の相談や質問には楽しそうな顔をして答えてくれて、そんな時はとても心強かった

 

俺が本当に「社長」と思っているのは、この人だけだ