ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

書店のブックカバーに想う

新品の本を買う時、店員さんに

「ブックカバーはお付けになりますか」

と訊ねられると、

「袋でいいです」

と答える

それが書店側にとって良いのか悪いのかは分からないが

 

ブックカバーが掛けられてしまうと、後で何の本だったのかが分かりにくくなるからだ

買ってすぐに読むのなら、それでもいいけど

でもここ数年じゃ、わざわざ新品を買うということは、ほとんどがすぐに読む本の場合が多いので、カバーはついていてもいい訳だが

 

 

学生の頃は今と違って、買う量と読む量に大きな差がなかったので特に問題とはならなかったが、働くようになると、買う量と読む量のバランスが崩れてきた

買ったはいいが読んでいない、書店のブックカバーが付いたまま放置された文庫本が増えてしまったのだ

それである時決意して、それらの本にはブックカバーに何の本かを書くようにしたので、開かずして判別できるようにはした

 

カバーがかかったままで新品同様かと思いきや、本自体がけっこう変色していたりして驚く

そりゃそうだ、もう買ってから何十年にもなっているのだ

いい加減、読むか処分するかを決断すべきなのかもしれない

 

ところで、買って何年もたってから読んだ場合、ついたままになっていたブックカバーは不要となり処分するんだけど、物によっては妙に愛着を感じて、捨てられないのがある

特に、若い頃に買った東京の書店のブックカバーだ

 

関東在住かあるいは出張等でよく東京に行く人にとっては、別に何だというものではないのだろうが、俺のように東京が「懐かしの街」になってしまった者にとっては、なんだかね

まあ、あまりいい事だとは思わないけれども

 

 

と、そんな訳で今でも捨てられないでいるブックカバー

渋谷の大盛堂本店のもの

何冊かあったんだけどみんな読んでしまい、その都度捨ててきて、これが最後に残った1枚だ  

 

 

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谷崎潤一郎武州公秘話』中公文庫

 

 

そして何と現在、大盛堂本店は場所が変わっていた

知らなかった

娘がブックオフで買ってきた雑誌『QJ矢沢あいの時代)』、俺もぱらぱらめくっていたら、大盛堂本店閉店の記事が目に飛び込んできた

2005年の記事だった

何だ今頃、と言われても返す言葉は無い

 

ニュースなどで渋谷駅前が映った時、

「あれ、ひょっとして」

と思ってはいたけど

移転してたんだね

 

俺が最後に東京行ったのが2004年

その翌年の出来事だったとは

 

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まあ、本当にどうでもいい話ですみませんでしたね

しかも俺は新宿紀伊国屋派だったから、大盛堂の方へはそんなに行ってないんだよな

いや、それでも俺、結構びっくりしたのよ

 

…失礼します

 

(敬称略)