夏の甲子園、今大会は記念すべき100回目だそうで、出場校も多い
主役はもちろん出場校の球児たちであるが、それでもやっぱり「レジェンド始球式」ってなんだか感動的だ
松井、桑田、大魔神佐々木
水野がいるってのがまた嬉しい
牛島や定岡までいるじゃないか
そして正にレジェンドの太田幸司
オールドファンにはたまらない
でもここには江川と清原の名前はない
清原は仕方ないとしても、なぜ「怪物」江川がいないのか
答えは単純、断られたそうだ
理由は、日本テレビで野球解説をやっているから、朝日新聞社主催の甲子園大会には出られない、とか
あるいは、甲子園で優勝していないので(優勝してなきゃダメとは思わないが)、個人的には恥ずかしくて出たくない、とか
ま、そんな事のようだ
せっかくの記念大会だもの、何だよ、いいじゃ〜んって思うけど、ね
いや、別に山なりでキャッチャーまで届くかどうかみたいなボールが見たい訳じゃないけどさ
見たいのは全盛期のホップするストレートなんだけどさ…
思うに(勝手な想像だが)、江川は高校生時代の事ばかり言われ続けているのが嫌なのではないだろうか
何しろアマチュア時代の「怪物」も、プロ入り後はその異名とは程遠いものであった
所詮は通算成績135勝の「並」の投手で終わってしまったのだ
それでもファンは最後まで「怪物」出現を待っていたのだが
今でも語り継がれる豪速球伝説にしたところで、おそらく140km/h台で、ひょっとして150キロが出ていたのかも位の話であり、間違っても160キロなんて事はなかったと思う
まして江川の後には槇原、野茂、伊良部、松坂、ダルビッシュ、大谷などの豪速球投手が出てきたのに、いつまでも「怪物」ヅラしなければならないのが苦痛なのではないだろうか、と思った訳だ*1
人口に膾炙している「記録より記憶」、なんて言葉はいつ頃から言われているのだろうか
一説では王と長嶋の比較で使われ始めたのではという事だが、江川が現役の頃にもよく耳にした
なるほど江川こそ典型的にその言葉が当てはまる一人ではある
でも江川本人は記憶に残る事以上に記録を残したかっただろう
そして強く記憶に残る選手となるには、それなりの記録も必要だ*2
しかし、である
今でも「江川世代」の野球選手は江川を我が事のように語り、かつ賞賛する
そして皆、江川と同世代である事を誇らしく感じているような口ぶりだ
勝っても負けても、打倒江川に燃えた事がまるで自分たちの特権であったかのように
江川は今でもかつての自分、「怪物」の幻に苦しめられているのではなかろうか
無邪気にノスタルジア、という訳にはいかないのだ
それは他人には分かりえない無意味な苦しみだが、でもあまりにも悲しい
な〜んて今回はあまりに独断的過ぎたかなと思いつつ…
今年の夏の甲子園大会は大いに盛り上がっている
金足農 ー 近江戦では逆転サヨナラ・ツーランスクイズなんていう超レアなものまで飛び出しちゃうし
それにしても、青春だの純粋だのというつもりは全く無いが、どうしてあんなにも感動的なのか
負けたら終わりっていうのが、死ぬ訳でもあるまいし、でも何故こんなにも胸に迫ってくるのだろうか
(敬称略)