東京=Tokyo=Tokioを、一般に認知させたのは、沢田研二かYMOであるという事に、恐らく誰も異論はないだろう(アイドル・グループTOKIOよりずっと前の話)
YMOは坂本龍一作「Technopolis」を「ト・キ・オ」と、ヴォコーダーという機械によるロボット・ヴォイスでスタートさせ、沢田研二は「Tokio」というシングルをド派手なコスチュームで大ヒットさせた
時はどちらも1979年、日本が高度成長期を経て、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われ始めた頃であり、バブル時代の数年前の事だ
都市論が流行して、「日本」ではなく「東京」、さらにTokyoよりTokioという隠語的呼び名が、何となくカッコ良かった訳だ
誰が一番最初にTokioという表記をしたのかは不明だが、上記の二者で言えば9月のYMOの方が、11月のジュリーより少し早いという事になる
沢田研二「Tokio」の作詞は糸井重里で、現在は坂本龍一と友人関係であるが、当時は二人ともブレーク前の話であり、まだ交流前と思われる
糸井がYMOの曲にヒントを得たというのは考えられなくはなく、実際に後年坂本は冗談交じりに「(糸井に)パクられた」と語っている
余談だがシングルはアルバムと少しだけ違うヴァージョンとなっている
さて、そんな象徴的な言葉「Tokio」は、79年80年とYMOライブで連呼されるのだが、81年のツアーでは「トーキョー」と叫ばれるようになり、かつその箇所はご当地地名が充てられる事になる(「ナゴヤー」等)
Yellow Magic Orchestra Winter Live 1981 - 14 Technopolis
二年後の83年、所謂「散開ライブ」ではまた「トキオ」に戻り、地方公演でも「トキオ」で演奏している模様
解散ライブなので元に戻したのだろうし、ご当地地名を叫ぶっていうのも、やっぱり考えたらなんだか恥ずかしいって思ったのか、と想像する
ところで、無知な中学生だった俺は「トーキョー」をわざと「トキオ」といっているのかと思っていたのだが、外人(なんて曖昧な…)、少なくともイギリス人は「東京」を「トキオ」と発音するのだと知ったときの驚きといったら
後に「ヘボン式」のヘボンがヘップバーンの事だと知ったときの驚きが来るまで、俺の中での驚きの事実ナンバーワンだった
「トキオ」はより正確に表記するなら「トキヨ」になるだろう
星野源のアルバム『Yellow Dancer』収録の「時よ」は「Tokio」なのでは、と友達に言ったら、考え過ぎじゃないの、と一蹴された(そいつもYMOファンなんだけど)
ちなみに「京都」は「キヨト」と発音されるのを、高校生の頃にD・ボウイの曲で知った時はナルホドネ〜と思ったものだ
(敬称略)