ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

我がアイドル坂本龍一 映画『CODA』を観て

坂本龍一のドキュメント映画『CODA』を観てきた

監督はスティーヴン・ノムラ・シブル

 

東日本大地震後の被災地訪問のシーンに始まり反原発デモ、癌罹患、休養後の仕事復帰から現在までの約5年間の行動や発言の合間に過去の映像が挟み込まれる

初期YMOのライブ、確か’85年のやはり坂本ドキュメント映画『Tokyo Melody 』、’99年のオペラ『Life』公演から『戦メリ』、『ラスト・エンペラー』、『シェルタリング・スカイ』など

 

昔からの坂本ファンにしてみれば、特に高踏的な感じもなく、誤解を恐れずに言えば全てこちらの想定内であり、最後まで退屈せずに観ることができる映画だった

 

ピアノ演奏は勿論、シンバルをヴァイオリンの弓やマグカップでこすったり、エレキギターを鳴らしてみたり、北極で小さなシンバルを響かせたり、とにかく音を出すシーンが随所に出てくるが、そんなところが面白かったし、そういった事をずっとできるかどうかが芸術家と呼ばれる人たちの基本的な資質なのだろうな、などと改めて思いながら見ていた〜というのも多分あんな事を延々と続けられる人ってそんなにいないだろうから

一般人と芸術家が決定的に違うところは、特別な事じゃなくて、そんなところなのかもしれない

 

タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』のワンシーンが映し出された後、坂本龍一は新しいアルバムを、謂わばタルコフスキー映画に勝手につけたサウンドトラックみたいなものだと言っていた

 

偶然だが、昨年暮れにNHKテレビ講座で『惑星ソラリス』の原作者スタニスワフ・レムを取り上げていて、テレビの方は見ていないがテキストは買って読んだところだったし、これまた偶然でやはり暮れにタルコフスキー映画『サクリファイス』の監督自らの原作本を¥200で購入したところだったので尚更興味深かった〜但しこちらはまだ読んでない…

 

 

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 これはバケツをかぶって雨音を聴いているところ

 

 

坂本ファン歴はもう40年近くになり、これまでに何回かの変化を見てきたが、1番の驚きだったのは’99年刊行『skmt』を読んだ時だった

そこにはそれまであまり触れられて来なかった日常や半生が、ごろんと投げ出されているように感じたからだが、当時新たな所帯を持った事での子供の将来や未来の事、自分の無邪気な少年時代の事、母親の事、健康の事など、その「普通さ」になんだかとてもショックを受けた〜それまであまり感じなかった弱さみたいなものが見えたとでもいうのか

音楽も以前よりも極度にメランコリックな印象を受け始めていた頃でもあった

 

それはひょっとしたらニューヨークでの生活が約10年に差し掛かって来ていた事とも無関係ではない気がする〜もしずっと東京にいたらまだ、カッコいい、あるいはカッコつけた坂本龍一でいたのかもしれない

最近のビールCMで、歳取ったら細野(晴臣)さんと気楽に話せる様になった 、と語っていたが、そういったところも随分と変わったんだと思う

 

 

さて映画に戻って、本質的なことではないが観ていて気になったところを二つばかり

 

本棚に見えた書籍で判別できたものは、土門拳の写真集、多分イサム・ノグチの画集か何かと岩波文庫の緑のが3、4冊、赤が2、3冊、青が1冊

特に岩波文庫、タイトルも何も判らなかったので残念だった

 

そして非常に気になったのが使っていたエレキギターのこと

それはフェンダー社の多分ブロンコというモデルだと思うが、なぜ一般的なムスタングとかストラトではなく、よりにもよってマイナーなブロンコなのか

赤のボディが気に入って自分で買ったのか、誰かからの貰い物なのか

いずれ現在は生産されていない機種だし、そのチョイスの理由がとても気になる

 

でもギブソン系や最近のメーカーやアコースティックでもなく赤のブロンコというのがとても「らしく」て良かった

 

 

 

そして同じ監督による『坂本龍一 Performance in NewYork : async』の公開が始まった

昨年4月にNY行われたライブで、2日間計200人しか観ていないものだそうだ

予告編を見るとなんだか秘密結社めいた怪しい感じだったし、ブロンコも置いてあったから手に取って音を出すんだと思う

こちらも非常に楽しみだ

 

 

(敬称略)