ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

ジョン・レノンの命日に因んで

37年前の今日、1980年12月8日はジョン・レノンが殺された日だ
当時は俺ももうロックに関心のあった頃なので、かなり驚いたものだ
その年は5年振りのアルバムとなる『ダブル・ファンタジー』のレコーディングやリリースの記事が音楽雑誌を賑わしていた事もあり、ファンならずともショッキングな出来事であったと思うが、リアルタイムのビートルズ・ファンには尚更であっただろう

 

1980年のビートルズ関連といえば、ポール・マッカートニーの来日公演中止とソロアルバム『マッカートニーII』のリリースだ
公演中止は大麻所持のせいであったが、その頃は日本の芸能界でも大麻等の薬物問題で逮捕される事件が多かったので、マッカートニーよお前もか、といった気持ちだった
そして『マッカートニーII』、これは収録曲の「Frozen Jap」のJapが、日本での拘留の逆恨みによる日本人蔑視なのではと物議をかもしたが、実際は当時世界的に話題となっていたYMOにヒントを得たアジアン・テクノ狙いの曲で、しかもイギリスではJapという呼び方は一般的で、決して蔑称ではない、との本人のコメントがあったが、本当のところどうなのか俺は知らない

 

さてジョン・レノンだが、俺はどちらかと言うとビートルズ時代の方が好きなんだか、アルバムで言うと『リボルバー』(1966年)か『サージェント・ペパーズ〜』(1967年)辺りまでで、それ以降の解散間際やソロ入ってからのは、何だか「祭りの後」って感じがして、ちょっと寂しい感じがしてしまう
それはビートルズ史を少しだけ齧ってしまったが故の先入観なのかもしれないが、要はポール・マッカートニーとの不仲説がそんな気持ちにさせるのかもしれない
村上龍は「Yesterday」の1965年頃には、ビートルズにあんまり元気が感じられなくなって来たから、自分はもっぱらストーンズになった、みたいな事を以前言っていたが、確かに曲調は内省的な歌詞と相まって、あんまりロックンロールって風ではなくなって来ているが、そういうのもあるかもしれない

 

俺がビートルズの存在や歌を知ったのは小学生の頃ではあるが、積極的に聴くようになったのは中3になった1980年の事である
もっぱら友達にコピーしてもらった『リボルバー』と、『オールディーズ』という中期辺りまでのベスト盤だったが
そのせいか、ジョン・レノンの曲で一番好きなのは、『リボルバー』収録の「I'm Only Sleeping」だ
初めて聴いた頃は、それが自分の中のイギリスの雰囲気を表している曲と感じていたが、今では初めて聴いた中3の頃を思い出させる曲になっている
あと『オールディーズ』の方だが、これは一番最初にいい感じのベスト盤を聴いたものだと、友達に改めて感謝したい気持ちだ
ビートルズ・ナンバーからのベストではなく、中期までのってところがミソで、元気いっぱいのビートルズだった頃のベスト盤だから

 

A Collection Of Beatles Oldies - 2 Box - EMI

現在もCD化されていない模様〜未発表等のレアトラックは無し

 

 

ジョン・レノンの発言の中で俺が一番好きなのは「ポールを批判できるのは俺だけだ」というもの
不仲であったとされる2人だが、それでもジョン・レノンの中には、自分と肩を並べる事ができるのはポール・マッカートニーだけだという評価があったのだろう、何だかグッとくる
この発言、昔雑誌で立ち読みした時の記憶だったから、あやふやで自信がなかったんだが、調べたらやっぱりあって良かった
あと「パートナーと言えるのはポールとヨーコだけだ」っていうのもあったが、2人の不仲の原因であろうオノ・ヨーコと並べちゃうところ、これもまたグッとくるセリフだ

一方、ポール・マッカートニーってのはどうも能天気な人間らしく(楽天的というべきか)、よくアポなしでジョン・レノン宅を訪ねて行ってたらしい
つまりジョンとポールには、お互いに何らかの認識の違いとでも言えるような事があったのでは、とも想像されるが、でもこのエピソード(証言?)にはホッとさせられる

 

ロック・ポップスにおける最高峰がビートルズである事には、今や誰も異論はなかろうと思うが、それは今後も変わらないだろう
理由は簡単、現在のロック・ポップスの枠組みを、結果的にガッチリと作り上げてしまったのがビートルズだからだ
よって我々が、その枠組みの中にいるうちは、何を持ち込もうと、穴を開けようと、パラダイム・シフト的なものでも起こらないない限り、良くも悪くもビートルズの天下という事だ
そして、そんな事が起こった時に現れるのは、最早ロックやポップスではない何かであるだろう…なんつって