ぱらの通信

思い付きと思い込みの重い雑感集

我が1984 あるいは東京かぶれの記

最初に言っておかなければならないのは、オーウェルの『1984年』の感想文を書くつもりはないという事だ
…超個人的な思い出の話

1984年は、俺にとって忘れがたい年である
高校を卒業して、ほんの数年ではあるが、東京暮らしを始めた年だからだ
それはそれは、毎日がお祭りのような気分でいたのだった
 
 
まずは、俺の1984年のテーマ曲を3曲あげておきたい

シンディー・ローパー「ハイスクールはダンステリア」
スタイル・カウンシル「マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ」
カルチャー・クラブ「タイム」

高校生までの俺はゴリゴリのニューウェーブ・フリークであり、いくら欧米のものとはいえ、この手の歌謡曲なんかにはハナもひっかけないタイプだったのだが、これらは新しくできた友達の部屋でよく聴いていた曲である
他にもビルボード・ヒットチャートみたいなものをたくさん聴いていたが、この3曲は何故だか特別である
当時は別に好きでも何でもなかったが、今となっては1984年春を切ないくらいに思い出させるものとなっているのだ
 
ちなみに「ハイスクールはダンステリア」という邦題は現在、歌詞と何ら関係の無いタイトルだとして「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」と原題そのままのカタカナに改定されている
もちろん俺にとっては「ハイスクールはダンステリア」でなければならない
 

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初めて見た有名人はプラスチックス(当時メロン)の今は亡き中西俊夫
上京して1週間もしないうちに表参道で見たんだけど、ステージ衣装と見紛うような、周囲とはぶっちぎりで奇抜な服を着てた

そういえば、俺は表参道と青山通りが好きで、よくウロウロしてたものだ〜その後は新宿派に転向するが
 
田舎者の俺が初めて体験した外タレ・ライブも当然ながらこの年で、The Durutti Columnドゥルッティ・コラム)を、確か原宿にあった「クラブD」で観た
これは「クレプスキュール」というレコードレーベルのイベントで、他にはミカドと、あと何だっけ、何とかが出てた
 
確認で「クラブD」か「ピテカントロプス・エレクトス」どっちだっけと思って調べたら、出てくるのは「渋谷公会堂」と「新宿ロフト」〜どういう事だろうか〜俺の勘違いかな?〜でも司会で桑原茂一が出てきたから「クラブD」か「ピテカン」で間違い無いと思うけども
 
 
キリがないのでこの辺で終わろうと思うが、当時のこの浮かれた気分は親のスネをかじって味わっていたものだ
その後俺は親を大いに失望させてしまう事になるのだが、しかし幸い今でも両親は健在である
今までの分を挽回する事は不可能だが、少しの孝行ならまだ間に合うのが、俺には救いだ
 
(敬称略)