デヴィッド・ボウイの代表曲のひとつ "Space Oddity" は1969年の発売だから、今年は50周年記念となる訳だ(乾杯)
この悲劇の宇宙飛行士トム大佐を主人公とした歌は、17歳でレコードデビューして鳴かず飛ばずの五年間を経てようやく出た初のヒット曲であった
ボウイの「奇跡の70年代」はここから始まる事となる
David Bowie – Space Oddity (Official Video)
1964年にモッズバンドの一員としてデビューして、この頃はフォークロックやカンタベリーロックなどの影響を受けながら、カーリーヘアに12弦ギターという出で立ちで歌っていたボウイ
更にその3年後には、ケバケバしい化粧のグラムロックで時代の寵児となり、遂には世界的ロックスターの座を掴み取る
それから後も、ソウル、ミニマル、クラウトロックなど様々な影響を受けながら目まぐるしく変化を続け、レコードセールス以上の影響力で前代未聞のロックアーティストとなる
以上が簡略化した「奇跡の70年代」の内容である
そして1980年には、自らそれまでのキャリアを総括するというか客体視するというか、自己批評的というか自己言及的とでも言うのか、そんなシングル "Ashes To Ashes" を発表
何とその中では、かのトム大佐はドラック漬けのジャンキーだと歌われているのだ
これは簡単な手法のようだが、ボウイのような立ち位置にいる者でなければ面白みは少ないだろう
とまあ、そんな勇ましいスタートを切ったボウイの80年代だったが、『レッツ・ダンス』でのビッグサクセス掴んだと思いきや、自分を見失ってもがき苦しむ事になったのはとんだ悲喜劇であった
そして90年代を迎えた頃には、心機一転の原点回帰バンド、ティン・マシーンは何だか今ひとつ
遂には過去の曲を演るのはこれで最後だというワールドツアーを敢行
そんな背水の陣に出たのだが、これは80年代に突入した時とは正反対の勇ましさ、まだまだ終わらない悲喜劇の延長に見えたというのが正直な感想だった
ところがどっこい当時の流行を取り込みながら、少しずつ以前のような輝きを取り戻して来るのだ
第一に曲がカッコ良くなった
売れ線狙いっぽいポップさが無くなって、ボウイの声が引き立っている
ティン・マシーンでのリハビリも無駄ではなかったのかもしれない
とりわけ1995年のアルバム『アウトサイド』がシビれる
これは「猟奇殺人と現代アート」というコンセプトと無縁ではないだろう
音もインダストリアルで暴力的
David Bowie & Nine Inch Nails- Hallo Spaceboy [Live]
そしてこの時期のライヴから、封印していた筈の過去の曲を演りだすようになった
あの背水の陣は何だったんだ、という話だが、ファンには関係ない
ボウイが嘗ての自信を取り戻したという事だろう、それがファンには何より嬉しいのだ
ちなみにこのライヴでは日本にも来たんだけど、俺は行かなかった
過去の曲を演らないマニアックに密室的なライヴなんじゃないかとの早合点もあったけど、当時は仕事も忙しかったので無理したくなかったというのが大きかった
その後、俺はその事を死ぬほど後悔することになる
破格のロックアーティストに返り咲いたボウイは1999年に、今度は最新流行などのギミックのほとんど無い『アワーズ』を発表する
このアルバム、シンガーソングライター的な歌モノが大半を占めていて、70年代への回帰か、なんて言われたものだ
David Bowie - Thursday's Child (Live)
歌には「老い」をテーマにしたようなものもあり、ハッとさせられた
ライヴでは過去の曲が更に増え、しかもブレイク前の曲を演ったりするなど、少し懐古的な雰囲気まであったから尚更だ
当時52歳のボウイだが、この世からいなくなるのも近いのか、と思うと少しショックだった
でも今の俺の年齢と同じくらいだったんだな…
さてさてさて、実は本題はこれからなんです(長かったね)
上のジャケット画像で、ボウイがしている腕時計が見えるだろうか
蛍光の緑色した文字盤の時計
これはポール・スミスの時計で、確か¥38,000(税別)だった
実は俺、目敏くそれを発見すると早速真似して購入したのだ
なんてミーハーな…
そして2004年の来日公演に行った時、恥ずかしげもなく着けて行ったのだった
上2枚の画像は、その時のパンフレットに載っているものだが、この頃までボウイはよく使っていたのもと思われる
なのに、来日公演では着けていなかった
ああ、残念…
あれから20年、今はあまり使ってはいないが、電池はキチンと交換しているぜ
俺の宝物だ(まるでボウイ本人から貰ったかのように)